サイト売買コラム

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成長と別れ、そして再出発 ~ネットショップ譲渡のリアルな経験談~

取材協力者:上野裕介さん(会社売却者)

3年目の葛藤

「これが、僕たちの会社なんだ」——このネットショップを立ち上げて1年が経ったとき、そんな実感が湧いてきたのを覚えています。年齢や背景が全く異なる仲間が集まるシェアハウスの同居人だった佐藤と二人三脚で始めた家具専門のネットショップは、シンプルで温かみのある北欧デザインの家具を家族向けに提供することをコンセプトにしていました。

小さな子どもがいる家庭でも安心して使える家具を提供したいと思い、素材やデザインにはこだわり抜きました。その甲斐あってか、1年目から予想以上の反響があり、2年目にはリピーターも増え、売上は前年対比で150%を超える成長を遂げたのです。お客様から「部屋が明るくなった」「子どもが喜んでいる」といった感謝のメッセージをいただくたびに、「この仕事を始めてよかった」と心から思えました。

しかし、2年目の後半に差し掛かると、少しずつ「このままでいいのか?」という疑問が浮かぶようになりました。事業が成長するにつれて、作業は細分化し、経営(というか経理業務)に割くする時間も増え、当初のビジョンを見失っている気がしたのです。最初は情熱だけで突っ走っていたけれど、3年目を迎えた頃には、毎日の業務に追われ、自分が本当にこの事業を続けるべきか迷うようになっていました。

ある日、佐藤と話し合い、「ここまで育てたブランド(ショップ)を次のステージに進めるために、他社への譲渡も一つの選択肢かもしれない」という結論に達しました。僕たちにとっては、心血を注いできたブランドです。だからこそ、誰か信頼できる人に引き継いでもらえたらという想いが芽生えてきたのです。

M&A専門家・和家さんへ相談

初めてM&A専門家の和家さんに相談の電話をしたときは、正直なところ迷いがありました。「僕たちが育ててきた会社を本当に譲渡してしまっていいのか?」と不安でした。でも、事業に限界を感じ始めていたのも事実。和家さんとのカフェでの打ち合わせでは、自分が立ち上げ当初に抱いていた想いや、今感じている葛藤を率直に話しました。

和家さんは、僕の言葉を丁寧に受け止めた上で、M&Aのプロセスや、譲渡後も顧問として関わることができるケースがあると教えてくれました。「ただ売却するのではなく、事業の価値や顧客との信頼関係を守りながら引き継ぐ方法もある」と聞いて、少し気持ちが軽くなったのを覚えています。

「自分たちがここまで育ててきたブランドが、次のオーナーの手でさらに成長してくれるかもしれない」——そんな希望が見えてきた瞬間でした。和家さんのサポートのもとで、自分の想いを引き継いでくれる買い手を探すことを決めました。

買い手の登場

和家さんが買い手候補として紹介してくれたのは、家庭用品を中心に取り扱う通販業の会社を経営する佐々木社長でした。佐々木社長は、現在の事業が停滞しているため、新たな分野に進出したいと考えていたところ、僕たちの家具ブランドに興味を持ってくれたそうです。

初めて佐々木社長と会ったとき、「この家具ブランドを引き継ぎ、さらに多くの人に届けたい」という強い意欲を見せてくれました。何よりも、僕たちが大事にしている「家族が安心して使える家具」という理念に共感してくれたことが嬉しかったです。彼は成長戦略についても具体的なビジョンを持っており、「現状を継承しながら、さらに広告投資や新しい販路開拓で成長を図りたい」と話してくれました。

この出会いで、僕はようやく「この人なら、自分たちのブランドと会社を託せるかもしれない」と思えるようになりました。

信頼関係の構築

譲渡に向けた交渉が本格的に始まると、僕たちにとって最も大切だったのは「ブランドと顧客との信頼関係を守ってほしい」ということでした。佐々木社長もその点を尊重し、僕と佐藤が顧問として引き継ぎ期間中にサポートする体制を整えることを提案してくれました。

「自分たちがこれまで築いてきたブランドを大切に扱ってくれる」という安心感が、次第に譲渡への不安を和らげてくれました。佐々木社長が「この理念を大事にし、さらに多くの人に届けたい」という言葉をかけてくれたとき、僕はこの人なら信頼できると思いました。これが、僕たちにとって譲渡を決断する決め手となりました。

デューデリジェンスと契約

いよいよ譲渡が決まり、デューデリジェンス(事業調査)が行われることになりました。佐々木社長の会社のチームが、事業の財務状況やマーケティング戦略、運営ノウハウを細かく確認していく過程で、僕たちも自分の事業を冷静に見つめ直す機会となりました。「僕たちがやってきたことには確かな価値があったんだ」と、誇らしくもあり、少し感慨深くもありました。

調査が終わると、契約に向けた条件が正式に決まりました。譲渡額や支払条件、引き継ぎ期間の詳細も取り決め、僕たちは会社を手放す準備を進めました。正直、手放すことにまだ少し寂しさもありましたが、それでも佐々木社長のいる会社なら安心して任せられるという気持ちが強かったです。

新しいスタート

譲渡が完了し、僕と佐藤は一定期間、新オーナーである佐々木社長と共に顧問としてサポートを行いました。私たちは、お客様との信頼関係を保つために、これまで大切にしてきたブランドの理念や、顧客サービスのこだわりを丁寧に引き継いでいきました。佐々木社長の会社のチームが徐々に顧客対応や商品開発を担うようになると、ブランドに込めた思いが新しい体制にもしっかりと根付いているのを感じました。長年築いてきた価値観が無駄になることなく、新しいメンバーに受け入れられている様子を見て、譲渡への不安が徐々に喜びと満足感に変わっていったのです。

引き継ぎが完了した後、僕は自分の新たなステージに向けて旅立つことを決意しました。以前から興味があった海外での事業に挑戦したいという夢があったため、家族や仲間と別れを告げ、アフリカのタンザニアへと向かいました。そこで出会った新しい土地と人々に触発され、僕は現地で貿易業とゲストハウスの運営を始めることにしたのです。現地の人々と共に働き、異なる文化に触れながら事業を広げる日々は、今までとは異なるやりがいと学びに満ちています。

振り返ると、家具ブランドの譲渡は決して簡単な決断ではありませんでした。けれど、佐々木社長とその会社のチームが、僕たちの大切にしてきた価値観を引き継ぎ、ブランドを成長させてくれる姿を見届けられた今、心から「譲渡してよかった」と思います。自分たちが築いたブランドが、別の誰かの手でさらに多くの人々に愛されるようになっていくことは、何よりの喜びです。こうして新しい人生の道を歩みながらも、ブランドが未来へ受け継がれていくことを見守ることができるのは、何物にも代えがたい満足感です。

M&A担当者の和家より~未来を見据えた仲介の役割

今回のM&Aは、買い手と売り手双方にとって新たな可能性を切り開く経験となりました。佐々木さんの会社は、家具ブランドを活かした新たな成長戦略を実行し、若年層やファミリー層へのアプローチを強化しています。一方、上野さんは自らの夢を追い、全く異なる分野での挑戦を楽しんでいます。

サイト売買や事業譲渡を考える方々にとって、成功のカギは「売り手と買い手の信頼関係」と「双方のビジョンとゴールの共有」にあります。上野さんと佐々木さんのように、お互いの価値観を尊重し、ブランドと顧客の未来を共有することで、M&Aは新たな成長の扉を開くのです。

今回、仲介人として私は、単なる売買以上に「事業の価値を継承する」という視点を大切に交渉を進めました。上野さんが抱いていた「顧客に安心して使ってもらいたい」という思いを共有する買い手を見つけ出すことが、M&Aを成功させるための最重要ポイントだと感じていました。そのため、佐々木さんが上野さんのブランドの理念を尊重し、発展させる具体的なビジョンを持っていると確信できるまで、丁寧にお互いの条件や考え方をすり合わせました。

M&Aは経済的な利益だけでなく、譲渡後の成長と信頼が続くことが重要です。上野さんが新たな挑戦に向けて安心して旅立てるように、佐々木さんが事業の価値を引き継いで発展させられるように、今回の譲渡がただの契約で終わらず、双方にとって意味のあるものになるよう努めました。この経験が、未来のM&Aに関わる方々の参考になれば幸いです。

執筆著者 和家智也(わけともや)

執筆者: M&Aアドバイザー 和家 智也(わけ ともや)
株式会社ゼスタス 代表取締役/早稲田M&Aパートナーズ株式会社 代表取締役
一般社団法人日本サイトM&A協会 代表理事

筑波大学第三学群基礎工学類卒業。早稲田大学大学院商学研究科ビジネス専攻修士課程修了(MBA)。2006年、サイトM&A専門仲介事業『サイトレード』を立ち上げる。2017年、第11回M&Aフォーラム賞 選考委員会特別賞を受賞。著書『M&Aエグジットで連続起業家(シリアルアントレプレナー)になる